こんにちは~!!
5児の父のさすらいの旅人ことKONMA08です!
私が18歳の夏休みに挑戦した北海道片道切符の旅の話です。
只今絶賛連載中の【旅人物語】も佳境に入りました。
今まで読んで下さった方も…
また最初の方を知らない方…
そして私自身が内容を思い出すため(?)
今回と次回に分けて今までのお話をでぃれくた~ずかっと。
あの頃を振り返りたいと思います。
はてなブログを書き始め様々な方のブログを読むようになった。
そこでコメントなどをしてるうちに色々な呼び方をされるようになり、こちらも呼ぶようになった。
そんな中…1人のブロガーみ~さんに何がきっかけだったのか忘れてしまったが、いつの間にか【旅人さま】と呼ばれるようになる。
色々とやりとりをしてると頭の中に【旅人】という文字がインプットされ寝袋片手に1人旅をしていた頃を思い出すようになった…
私はこの曲を聴くと旅立ちたくなるねんなぁ。
ポーラ・コールの『I don't want to wait』です。
こちら映画【シティ・オブ・エンジェル】での挿入曲でもあります。
と、いう訳でこの曲を聴きながら【旅人物語】をどうぞ。
旅人物語:総集編 ~上の巻~
あの頃私は日記をつけていた…
18歳の青春まっただ中のあの頃…
久しぶりに手に取り読み直す…
ぼくの人生の中の ほんの一瞬の出来事が ここに書きこまれる
こんな書き出しで始まる私の日記は1989年1月1日の出来事から書かれていた。
ちょうど高校3年生の冬休み。
友達の紹介で信州は志賀高原のスキー場のホテルでのアルバイトのことから始まり学生時代のこと、己の恋愛歴など読み直すとこっ恥ずかしい文章と誤字脱字の嵐に『小学1年生の時の子供たちの作文と同じやん』と笑い30年近し前のことを懐かしく思い出す…
そんな日記の私はある人と出会い18歳の夏にあることを決意する…
1989年 8月6日(日)
明日いよいよ片道キップで寝袋片手に独り北海道に旅立とうとしていた。
その旅立ち前の日記の書き出しがこうだ。
『もう僕は病気だ。いわゆる”恋の病”って奴かな?
まじな話いったい誰を信じたらいいんだろう?
あぁ~悩む悩む。頭がパコパコパコーン!だよ』
…あ、違うページでした…モジモジ…
この頃は青春しとんなぁ~あははははははは~っ。
そもそも独り旅を決断したのはある人との出会いであった。
私が親兄弟と松下幸之助以外で初めて尊敬する人である。
しかもたったの2歳上。後に私の師匠となる女性の方なんですが。
その師匠が春に独りオーストラリアに1ヶ月旅立った。
『女性が独りで海外に旅立てたのに男のオレが行けない訳がない』
と思ったものの流石に海外の旅費は…。
なら片道キップで国内のどっか。
あ、でも陸続きやったら歩いて帰ってきそうやし…
ん~行ったことない北海道でええか。
という訳で片道北海道旅行を夏休みに行くと決断するのであった。
ちなみにこの女性がのちの私の…
……奥さん…
…ではありませんので。オホホホホ
当時専門学校に通っていた私は学費を稼ぐために夜は大阪は梅田にあるお金持ちが豪遊する街北新地という所で高給取り(当時時給1000円)のアルバイトをしていた。
とにかくここの割烹料理のメニューの漢字が【魚】ヘンばかりで読めなくて…。
お客さんに聞かれても
私『魚料理なんですけどねぇ』
お客『だから何の魚や!?』
という会話をよくしていました。
しかも日替わりのメニューだったのであら大変。
終電で家に帰り学校の課題を徹夜でやり学校で寝る…。
そんな毎日が続いてて『何しに学校に行ってるのか分からん』ようになったので北新地でのバイトを辞めた。学費も学校に頼み細かく分割してもらったのです。
そして高校生の頃からバイトしてた近所のうどんやさんのバイト(当時時給750円)を復帰した。
その頃の日記を読んでいて思い出したがここのバイトで一度スカウトされたことがあった。
女性『うちの店で働かない?』
もらった名刺にはミスタードーナッツ人事部長と。
うどんやさんのバイトでお世話になってたし何よりも可愛い女性がたくさんいたのでお断りしたのやけども…
もしミスタードーナッツで働いてたら今頃どうなってたんやろう?
あっ…全然関係ない話でしたね…
1989年 8月5日…朝
当時18歳の私…
和歌山県は白浜の海より帰還する。
飲んで食べてナンパしたかは記憶にないけど北海道に旅立たなければならないと言うのに痛い出費をしてしまった。
翌日 8月6日…
北海道出発前日だというのに全然準備もせず当時初めてお付き合いをさせて頂いてた女性と【魔女の宅急便】を観に行く私…。
だからお金がいるっていうのにっ!!
生きて北海道から帰れるか分からないのでバイト先のうどん屋さんへ最後(?)の挨拶に行く。
なんとそこでパートのおばさま方がお金のない私にカンパしてくれたのである。
さすがおば様キラーの異名を持つ私…嬉しくて泣けてきた。
そのバイト先の友達から寝袋ももらった。
本当に至れり尽くせりである…ありがとう。
その夜に先ほどの師匠より電話があった。
師匠『明日やね。時刻表とか持った?』
私『時刻表?? 何ですの??』
師匠『え~? 【青春の18切符】で行くんやろ?』
私『ええ。そのつもりですが…』
師匠『18切符はJRの快速電車までなら乗り放題やから効率よく北海道に行こうと思ったら時刻表見ながら電車の乗り換え確認して…』
…と色々とレクチャーを受けたのでした。
ホンマのホンマに何の準備もしてませんでした。
そして親父がやって来て…
親父『ちょっと話しよか』
普段口数の少ない父親は昔ながらの背中で語るタイプである。
今でこそ孫やらひ孫もでき穏和なおじいちゃんではあるが昔はそれこそ私にとっては怖い存在であった…
と同時に何やかんやで一番尊敬をしていた。もちろん今でも。
高校を卒業して一緒にお店でお酒を飲むようになり色々と話をし親父に一人の男として認めてもらえたのが嬉しかった。
そんな親父が私が北海道に独り旅するのを聞き呼びだした。
親父の部屋に行くと茶封筒を私に渡して
親父『困った時に読め』
私『読む?』
親父は仕事の関係上昔から松下幸之助が好きだった。
なので幸之助の名言か何かを手紙に書いたのだろう。
私『ありがとう』
親父『とりあえず毎日母さんに電話すること』
※当時携帯やポケベルはないので公衆電話からの2コールを『無事ですよ』と言う合図にしてました。
8月7日(月)
旅立ちの朝。
雲一つない晴天…
全財産13000円を握りしめサンダルに普通の旅行鞄...中身はTシャツとパンツを5枚づつと友達にもらった寝袋とおよそ旅人とは程遠い格好で家を出た。
今ならTシャツとパンツは2枚と水筒。身軽な格好で行くだろう。
当時は旅人の知識などなくホンマ何も考えていなかったのが分かる。
朝早く始発に間に合うように家を出る前に母が
『持っていき。具はないから』
と握ってくれたおにぎりを20個渡された。
私よりも先に起きて握ってくれていたのだろう。
当時は素直になれなかったが今思えばなんとありがたかったことか。
まずは大阪駅に着き【青春の18キップ】を11000円で購入。
このキップは1枚でJRの快速電車までなら乗り放題の途中下車もできての5枚つづりのお得なキップ。
時刻表も地図も何もない私は勘を頼りに東へ北へと向かう電車に乗った。
駅に着いては売店の時刻表を立ち読みして時刻と行き先を覚える。
車中は主に日本海側を走っていたので海を眺め乗り換えの駅とか時間のことばかり気になっていた…母のにぎったおにぎりを噛みしめながら…
そして新潟県は柏崎という駅まで着いた。
ホームの待合室は割と広く『ここならゆっくりと寝れそう』と思った。
ら…
駅員さんが来て『ここは閉めますので出てくださぁ~い』と。
『え?うそやぁん。そんなんどないしよう…』
と思いながら近隣マップを見ながら公園を探していたら同じように寝袋片手に寝所を探していた青年がいた。
私『あ、寝る所捜してるんですか?』
O氏『はい。そうです』
私『まさか駅を追い出されるとはねぇ。ここに公園ありますけど一緒にどうですか?』
O氏『いいですね。一緒に行きましょう』
と言う訳で駅のそばにある公園にO氏と一夜明かすこととなりました。
彼は九州に帰る途中だったらしく時刻表を持っていたので北海道までの道のりをメモさせてもらいオマケに荷物になるからとライターと固形燃料と金網をくれました。
お礼に余っていたおにぎりを渡しました。
今はもうO氏の顔は忘れましたがこの固形燃料と金網のおかげで後々に安く暖かいご飯を食べれるのであります。
そして夜が明けO氏と別れを告げました。
8月8日(火)
O氏とは反対の方向だったので別れ5時48分の始発で私の北海道一人旅の第2部が始まった…。
この日の日記を読むと…
『今日は感動の日でしたよ。なんせ景色がめちゃくちゃに良かったぁい。新潟から山形・秋田にかけての海岸沿いがなんとキレイかったことか。まるでドラマか映画で見たような景色でおま』
と絶賛していました(残念ながら記憶には…)。
秋田駅に着き次の発車まで2時間以上あったので私は…
私は全財産の1000円ちょっとを元手にな、な、な、なんとなんと…
食費をかけてパチンコをしたのである。
秋田観光をするでもなく秋田名産を食べるでもなくパチンコをである。
結果…3000円少々勝った。
なのでこの日はマクドかロッテリアでハンバーガーを食べた。
秋田に来てどこにでもあるパチンコ店に入りどこにでもあるハンバーガーショップに入ったのである。
そしてこの日は秋田県の【大館駅】という所まで行けました。
大阪を旅立って2日目…早くも人恋しくなりパチンコも勝ったことやしと銭湯に行こうと思いました。
駅近くの交番に入り『銭湯は近くにない?』か聞くと、とても丁寧に説明して下さりオマケにめちゃめちゃ近いのに地図をコピーしてくれて。
銭湯の看板が見えてきたんやけど横から風呂桶セットを持ったいかにも銭湯に行きますよというおっちゃんが通りかかったので
私『すみません。銭湯に行きたいんですけど』
と話しかけた。ら
おっちゃん『おう。今からワシも銭湯行くから一緒に行こうか』
とおっちゃんと銭湯に行きました。ら
帰りもおっちゃんと一緒になり外に出ると雨が降っていたので
おっちゃん『なんや兄ちゃん寝袋か?この雨の中寝るとこあんのか?ないならワシの家に来るか?(を秋田弁で)』
という話になり一晩お世話になるのでありました。
『まぁ飲もうや(を秋田弁で)』とビールやら地酒やら食べ物もご馳走になったのでした。
旅立って二日目。初日はおにぎりでこの日も朝はおにぎりの残りに昼抜きの夕方にハンバーガーを食べたぐらいで正直お腹は減っていた。
なので空きっ腹へのアルコールは胃袋に染み渡った。
記憶にはないんやけども日記の字がかなり躍っているので結構飲んだのかもしれへんなぁ…。
8月9日(水)
朝方…爆睡してるおっちゃんに『ご馳走様でした。ありがとうございます』の置手紙を残し再び電車に乗り旅立った。
秋田県は【大館駅】を出発し【青森駅】を越し【青函トンネル】を抜けて…
11:59…KONMA08はついに北海道【函館駅】に上陸したのであった!
産まれて初めての北海道…
夢にまで見た(?)北海道…
北海道はでっかいどぉ…
でもね…
駅近辺が思った以上に人が多かったのと落ち着く(寝袋を張れそうな)場所もなさそうだったので【札幌駅】まで向かうことにした。
途中【長万部駅】で3時間ほどの時間があったので途中下車し調子に乗ってまたまたパチンコをしてしまい…
残金690円!
!! どうする!? オレっ!?
…つづく
旅人物語:総集編~中の巻~は…
8月23日(金)に更新予定です!!
さぁざっと前半部分を振り返ってみましたが…相変わらずテキトーな人間であったなぁと改めて思いました。
それにしてもホンマ私という人間は回りの人たちに恵まれていて物凄く助けられてるんやなぁ…と。
そして親にも感謝せねばならないなぁ…と。
本日は最後まで読んで下さりありがとうございました。
ホンマに何度も書きますがいつも暖かなコメントをありがとうございます。
更新日の日はコメントを読めるのが楽しみでワクワクしております。
できる限り皆様のブログにもお邪魔したいと思っておりますので
これからもどうぞ宜しくお願いしますね。
お時間のある時にでも遊びに来て下さいね。
また【月刊KONMA08】でいただいた
ブックマーク及びコメントの返事は毎週月曜日の記事に更新予定であります!